トレが加入した新生グリーンデイは全米ツアー終了後、すぐに次のアルバムのレコーディングに入る。そうして完成したのが「Kerplunk」。これは1000ドル(15万円前後)という常識ハズレに安い製作費で作られた。なぜ?の問いかけにビリーは「このアルバムはロックンロールのアルバムに何百万ドルものレコーディング費用を書ける必要はないという証明だと思う」と語っているものの、正直な話、予算がなかったからだろう。彼らは製作費を節約し、かつライブっぽいアルバムに仕上げるためビリーが歌うのと同時にマイクがバックコーラスをつけ、トラックを節約した。
余談だが前ドラマーのジョンもExcutive Producerとして製作に参加している。もっとも名前はAl
Sorblantと言う風になっているがこれはジョンの芸名。また歌詞カードの中の「グリーンデイのライブに付いて行くため両親を殺す」と言った内容のストーリーはLawrence
Livermore(またしても登場)によって書かれている。
このアルバムが発売されるとグリーンデイはヨーロッパやアメリカ国内をツアーしたのだが、この頃には彼らの知名度もどんどんと上がって行っていてアルバム「Kerplunk」も着実に売上を伸ばして行った。そしてこのアルバムはルックアウトのアルバム売上記録をあっさりと更新し、この記録を抜くものは現在に至っても現れていない。
この頃になるとグリーンデイファンの数が会場のキャパをオーバーする事も当たり前になり、あまりの加熱ぶりに当日ライブを取りやめなければならないような事態にまで発展した。ここに彼らがメジャーレーベルのプロモートを欲した理由のひとつがある。もうグリーンデイの人気は、今ほど組織的ではなかったルックアウトの手には負えなかったのだ。こうしてグリーンデイはまた新しいレーベルを探す羽目になり、そのレーベル探しはルックアウト側も承諾ものとに行われ、移籍も友好的に行う事ができた。
このグリーンデイのレーベル探しには多くのメジャー・レーベルが手を挙げたが、最終的にグリーンデイの新しいレーベルはリプリーズ・レコードに決まった。ワーナーブラザーズ傘下のレコード会社であった。
このメジャーレーベル移籍がこの後、大きな障壁となってグリーンデイを襲うのであるがそれはまだ後の話…
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