バンド名もグリーンデイになり意気揚々の3人であったが、彼らには一つ解決すべき問題があった。それは自分達の作品をリリースするレーベルの問題。リリースしたEPはかなり小規模なレーベルから出ていてグリーンデイはもう少ししっかりとしたレーベルを探す必要があった。当時のバークレーのパンクシーンの中で、一際輝きを放っていたいくつかのバンド、例えばCrimpshrineやOperation
Ivy、ドラマーのジョンが所属していたISOCRACYなど、のレコードをリリースしていた地元のレーベルLookout!
Recordsからレコードをリリースしたいと思い、創始者の一人である、Lawrence Livermoreに手紙を書いた。
Livermoreの地元であるメンドシノマウンテンにて行われたショウにグリーンデイは出演。明かりも電気もないライブハウス、その日の天気は雨。まだまったくの無名バンドであったグリーンデイにオーディエンスは5人しかいなかったと伝えられている。このショウを見たLawrence
Livermoreはその場で彼らにレコードのリリースを約束した。<注>
こうしてグリーンデイはしっかりとした所属レーベルを持ち、ルックアウト・レコードは後にレーベルの稼ぎ頭となるクソガキを世話することになった。勢いに乗るグリーンデイはさらにEP「1000hours」「slappy」「39/smoothed」を続けてリリースする。しかしこのEPは店頭に山積みされる事はなく、いつも入荷待ちの状態だったというから恐れいる。そこで大好評につきこれまでの3枚を一つにまとめた「1039/sommthed
out slappy hours」もリリースされるのであった。このグリーンデイの記念すべきファーストアルバムは成功を収めた。ちなみにこのアルバムのジャケットとディスクのデザインはOperation
Ivy(ランシドのティムとマットが在籍していたバンドとしても知られている)のJesse
Michaelsが手がけている。また収録曲のKnowledgeもOperation Ivyの作品なのだがこちらは当初(slappyに収録)、無許可で使われていたという。
アルバムが出来たらツアー、と言う事でこの後グリーンデイは初めての全国ツアーに出発する。この初めてのバンでの全国ツアーはかなりの貧乏ツアーで、次の目的地までのガソリン代があれば御の字だったという。いずれにせよ地道なライブ活動でまた少しファンを増やしたグリーンデイはバークレーに帰ってくる。すると今度はグリーンデイがヨーロッパで大好評だという噂を聞きつけ、急遽ヨーロッパへと飛んでいった。このツアー終了と共にドラムスのジョンが北部の大学進学のため脱退、グリーンデイはまたしてもドラム探しに奔走する。
しかしこのドラマー探しは以外にもすぐに終了する。ジョンのドラムの師匠でもあり(?)スウィートチルドレン時代からライブで共演などもしていたThe
Lookouts(前述のLaurence Livermoreのバンド)のドラマー、トレ・クールはバンドを探している最中でグリーンデイ入りの誘いを快諾した。トレはこう語っている。「(ビリーとマイクに初めてあったのは)15歳くらいかな。あいつらはもうグリーンデイをやっていて、名前はスウィートチルドレンだったけど、俺のやってたルックアウツと一緒にショウをやったんだ。あの時からクールだったよな。一発で気に入って、レコードも買ったんだ。曲が良かったから、即座にファンになった。だからそのバンドに入る事が出来て嬉しかったよ。良いバンドが見つかって良かったなって。優秀なミュージシャンでも、良い仲間が見つからない事は良くあるからね。」
こうして現在と同じラインナップになったグリーンデイの快進撃はここから始まる。
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